ホーム世界史インド、東南アジア、中国、アメリカの古代文明→(基本)前漢

1.前漢の初期

・高祖の時代から新しい首都である長安ちょうあんの建設を始め、第2代皇帝である恵帝けいていの時代に完成した。

・秦が急速な中央集権を進めようとして失敗したため、長安周辺の直轄地には郡県制を、遠隔地には封建制を採用するという郡国制ぐんこくせいをとった。

→しかし、劉氏以外の諸侯は徐々に粛清されて行った。

・高祖は匈奴きょうど冒頓単于ぼくとつぜんうに敗れ、毎年多額の物品を贈ることを強いられた。

・第6代皇帝である景帝けいていは諸侯王抑圧を強めたため、前154年に呉楚七国ごそしちこくの乱という反乱が起こったが、鎮圧に成功した。その結果、さらに中央集権が進められた。

※呉楚七国の乱は、劉氏同士による内乱であった。

2.武帝の時代

前漢は武帝ぶてい(在位前141年~前87年)の時代に最盛期となった。

<対外政策>

・匈奴に対して攻勢に出て、弱体化させることに成功した。河西かせい敦煌郡とんこうぐんなど4つの郡を置いた。

※筆者の学生時代には、匈奴遠征で活躍した将軍として、衛青えいせい霍去病かくきょへいの2人を習ったが現在の用語集にその名は見えない。

張騫ちょうけん大月氏だいげっしに派遣し、匈奴を挟撃しようとしたが、同盟は成立しなかった。しかし、これにより、西域さいいきの事情が明らかになった。

※張騫は烏孫うそんにも赴いたが、同盟は成立しなかった。しかし、後に烏孫は前漢と同盟を結んだ。

李広利りこうり大宛だいえん(フェルガナ)に派遣し、名馬である汗血馬かんけつばを入手した。

・前111年に南越なんえつを滅ぼして、ベトナム北部を領有し、南海郡なんかいぐんなど9つの郡を置いた。

・前108年に衛氏朝鮮えいしちょうせんを滅ぼして、楽浪郡らくろうぐんなど朝鮮4郡を置いた。

<内政>

度重なる外征により、国家財政が逼迫ひっぱくしたため、以下の政策を実行した。しかし、負担が重くなり、庶民の不満は高まった。

・新しい貨幣である五銖銭ごしゅせんの鋳造。

塩・鉄・酒の専売の実施。

均輸きんゆ平準へいじゅんの実施。

※用語集以外では、「均輸法・平準法」というように「法」が付いている。

※均輸は、特産物などを強制的に納付させ、不足地で転売して利益を得たものとされる。

※平準は、物価が下落した時に政府が商品を買い上げ、物価が上昇した時に商品を売却したものである。

3.前漢の滅亡

武帝の死後、皇后やの親族である外戚がいせきや、後宮に仕えた去勢された男性である宦官かんがんの専横が目立つようになり、国が乱れた。その中で、外戚から出た王莽おうもうが皇位を奪ってしんを建国し、前漢は滅亡した。

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