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1.後漢の建国

新の王莽は、周を理想とした復古主義政策を採ったが、社会の実情に合わなかった。農民反乱である赤眉せきびの乱(18年~27年)が起こり、新は建国からわずか15年で滅亡した。

→前漢の皇帝の末裔まつえいである劉秀りゅうしゅう光武帝こうぶてい、在位25年~57年)が漢を再興し(後漢ごかんの建国)、赤眉の乱を鎮定した。首都は洛陽らくように構えられた。

2.宦官の専横

2世紀に入ると、次第に宦官かんがんの専横が目立つようになる。166年と169年には、党錮とうこの禁という宦官による儒学の素養を身に付けた官僚の弾圧事件が起こった。

3.群雄割拠の時代

184年になると、太平道たいへいどうという宗教の指導者であった張角ちょうかくが農民反乱である黄巾こうきんの乱を起こした。乱は鎮圧されたが、後漢の政府に力は残っておらず、乱は滅亡の大きな要因となった。黄巾の乱以後は、群雄割拠の時代となった。

※後漢は、魏への禅譲という形で滅亡したが、220年までは存続した。

※後漢末期の宗教として、五斗米道ごとべいどうがあった。3代目の指導者である張魯ちょうろは、三国志に出てくるため、日本人にはなじみが深いように思う。

※各種文献を参照しても、後漢についての記述は全般的に薄い印象である。前漢の武帝のような、印象の強い皇帝が出てこないのがその理由である気がする。

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